■プロローグ(2) 計画の話
さまざまな葛藤と障碍を乗り越えて(多分に大仰だが)、最長片道切符の旅へ出ることになった。そこで一つ新たに考えるべきことが発生した。現在、最長片道切符の発駅は、北海道は稚内駅である。とすれば、私は、まず稚内へ行かねばならないのだ。出発地点まで行くための旅程を考えねばならない。飛行機で行けば早いが、旅の前夜祭的な、気分を昂揚させるイベントも欲しい。そこで私は、最長片道切符の旅では決して乗ることのない寝台特急列車の長距離乗車(特に始発から終着までの乗車を試みたい)を選ぶことにした。そして、稚内へは宗谷本線を使うことなしに行きたいと考えている。この二つを満たすのは、トワイライトエクスプレスに加え、都市間バスか、新千歳か丘珠あたりから空路を選ぶということになろう。
さて、次に最長片道切符だが、先述したとおり、“ある一定の条件”の元ではルートはほぼ一つに決まる。したがって、その“条件”をどうするのかを決めなくてはならない。時刻表をめくって疑似旅行をしたときには、NHKのもの(NHKの経路自体は東大に作成依頼を出して得られた)を参考にした。ところで、“条件”というのは、これまた主観に基づくもので、どれが正しい・正しくないとはいえないものをいう。もちろん、旅客営業規則だの旅客営業取扱基準規程だのという鉄道会社のルールブックを無視したものは無効だが、条文上はもちろんのこと、解釈上許される範囲のものならば、何ら排除する必要はない。そこで、考え得る条件を列挙してみると、以下の通りとなる。
<対象となる路線>
(一)JR旅客鉄道会社線のみを経路の対象とする
(二)JR旅客鉄道社線のみならず、通過連絡運輸できる鉄道会社線も対象とする
<新幹線について>
(イ)新幹線を使わない
(ロ)新幹線を経路として組み込めるが、並行在来線のある場合は在来線を使う
(ハ)新幹線を経路に組み込め、並行在来線のある場合でも新幹線に乗れる(並行する新幹線・在来線のある場合、実際の距離の長短に関わらず、どちらでも選択可能)。
<新下関〜小倉〜博多間に関する新幹線・在来線の扱い>
(A)新下関〜小倉〜博多間につき、運賃計算を基準にして新在同一線とするので、どちらかを経路に組み込んだときは、旅客営業規則第六八条第四項第三号の解釈上、経路に組み込まれる場合であっても他方を組み込まない。
(B)新下関〜小倉〜博多間につき、旅客営業規則第六八条第四項第三号の解釈に基づき、新在を共に経路に組み込むことができる。
つまり、これだけの条件だけでも、2×3×2=12通りの条件ができあがるが、対象とする経路については、純粋にJRだけを使うつもりでいるし、新幹線も(ハ)のケースを使うつもりでいることはほぼ決まっているから、あとは新下関・博多間の条件選択を決めることになる。ところで、新下関・博多間の条件(A)、(B)について、少し詳しく解説しようと思う。
まず、旅客営業規則第六八条第四項第三号とは一体何なのか。
(3) 新下関・博多間の新幹線の一部又は全部と同区間の山陽本線及び鹿児島本線の一部又は全部とを相互に直接乗り継ぐ場合は、次により計算する。
ア 山陽本線中新下関・門司間及び鹿児島本線中門司・小倉間の一部又は全部(同区間と同区間以外の区間をまたがる場合を含む。)と山陽本線(新幹線)中新下関・小倉間(同区間と同区間以外の区間をまたがる場合を含む。)とを新下関又は小倉で相互に直接乗り継ぐ場合は、新下関又は小倉で鉄道の営業キロ又は運賃計算キロを打ち切つて計算する。
イ 鹿児島本線中小倉・博多間の一部又は全部(同区間と同区間以外の区間をまたがる場合を含む。)と鹿児島本線(新幹線)中小倉・博多間(同区間と同区間以外の区間をまたがる場合を含む。)とを小倉又は博多で相互に直接乗り継ぐ場合、小倉又は博多で鉄道の営業キロ又は運賃計算キロを打ち切つて計算する。
何とも難解な条文である。要はこういうことだ。新下関と博多間の新幹線と同区間の在来線(一部または全部)を相互に直接乗り継ぐ場合のルールで、「相互に」というのはここでは「区間を重複して」という意味合いで、すなわち小倉〜博多の場合なら、小倉→博多を新幹線、博多→小倉を在来線に乗る場合などをいう。これは、小倉〜博多が新在同一線と見なされるから、本来このような乗り方をすることは、同じ路線を二度通っているということになり、片道切符の経路としては成り立たない。そのようにして新幹線から在来線に乗り継いだ場合(あるいはその逆の場合)に、乗り継ぐ駅で運賃計算を打ち切りますよ、片道切符の経路はそこで途切れますよというものだ。そもそも、新在同一線にもかかわらず、どうしてこのような規程が存在するのかは、同区間での在来線と新幹線の管轄する会社の違いとさらには運賃の違いによる。すなわち、新幹線を管轄するのはJR西日本で、在来線の下関〜博多間はJR九州の管轄であり、それぞれ運賃の設定に差があるからである。そこで、本来、新在同一区間であるにも関わらず、運賃の違いで事実上別路線として認められる余地ができ、それに応じる形で作られた規程なのである。では、二つの条件がどうしてできるのか。
それはまさに解釈上なのである。すなわち、旅客営業規則第六八条第四項第三号について乗り継ぐ場合を「直接」としている。この条文の規定を乗り継ぎ駅で「直接」乗り継ぐ場合に限定したともとれるわけである。換言すれば、「直接乗り継がない」場合は、この条文に拘束されることはないというのである。
例えば、新幹線で新下関から博多まで乗り、博多から鹿児島本線を熊本方面に南下して鹿児島まで行く。鹿児島からは日豊本線を西小倉まで行き、そこから鹿児島本線を博多方面へ吉塚まで行き、篠栗線へと入る場合などが考えられる。この場合のポイントは、最初の新幹線の部分(小倉・博多間)と最後の鹿児島本線の西小倉から吉塚までの区間が新在同一線扱いで経路が重複する点である。一見重複するので経路としては組み込まれないのであるが、新幹線と重複する在来線、西小倉・吉塚間は直接に、すなわち博多または小倉で乗り継いでいないのである。とすれば、この場合は片道切符の経路として認められるというわけである。しかし、これは条文の反対解釈から得られたものであり、そのような乗り継ぎを是とする条文があるわけではない。解釈というものは得てして解釈者の恣意に左右されることが多い。購入者の間でいくら是とする解釈が出ても、いざ発券する側(すなわちJR)が非と解釈すればどんなに抗議を表明したとしても通らないのである(もちろん、JR側も解釈上、是とすれば発券に応じないわけではない)。そのような解釈次第で白にも黒にもなるような条文だからこそ、条件として二分して選択できるという余地を残してしまうのである。
ところで、この点に付き、最長片道切符の経路とはどう関わり合いが出てくるのか。この旅客営業規則第六八条第四項第三号の規定は一九九六年にできた規定なので、それ以降の当該区間における先人たちの業績を例に見ていくこととする。
一九九九年の脇坂健氏の場合は、山陽新幹線で博多まで乗り、博多から鹿児島線を熊本方面へ、原田から筑豊本線、桂川から篠栗線、吉塚から鹿児島本線、折尾から筑豊本線という経路だ。後述する葛西氏の場合と比較すると、吉塚・博多間の区間外乗車を認めない点が相違点である。脇坂氏曰く、「規則上認められているとはいえ、折り返“さねばならない”片道乗車券は、「片道切符」と擬制することはできるにせよ、同一扱いすることには無理がある(脇坂氏のサイト「Travel
Station」より引用)」と。
一方、二〇〇〇年の葛西隆也氏の場合は、脇坂氏の場合とは異なり、山陽新幹線で博多まで乗り、そこから吉塚まで戻って篠栗線に入り、長者原から香椎線、香椎から鹿児島本線で西小倉まで逆行するという経路である。この場合、博多から吉塚へ行くときに、直接に新幹線から在来線に乗り継いでいるから、そもそも条文に照らし合わせれば無効のように思う。しかし、規則の他の条文中に、新幹線と篠栗線を乗り継ぐときは、吉塚〜博多間を重複しても、直接に乗り継いでも構わないという規定がある。したがって、これら二つの条文(の本文および解釈)を組み合わせることによって、この場合を片道切符の経路として認めるというものだ。葛西氏は、これらの規定に基づいて上記のような経路を組み込んだわけで、実際JRの方もその解釈を是として発券したわけである。
両者とも旅行者の気持ちの問題、個人の信条の問題としていることからも、どちらが厳密に正解かという話ではないことがわかる。したがって、吉塚・博多の区間外乗車をどう見るかは旅行者あるいはJRの恣意的な判断に委ねられるのである。
そして、NHKの番組で採用された経路としては、山陽新幹線で博多へは行かず、在来線を西小倉から日豊本線に入り、鹿児島方面を経由した後に、新飯塚から筑豊本線、折尾から鹿児島本線、吉塚から篠栗線と、新幹線と重複しない経路を取っている。この点について、葛西氏は自身のサイトでも二〇〇四年以降は、「運がよければ認められる経路」よりは「確実に片道乗車券の出てくる経路」の方が無難(葛西氏のサイト「SWAのWebページ中」の『最長片道きっぷの経路を求める』の付録2-2中の細かい質問から引用)として、そもそも小倉・博多間で山陽新幹線を使わない経路を取っている。
私の場合は、小倉・博多間においてはNHKおよび二〇〇四年以降の葛西氏のとる経路を採用することとした。葛西氏曰くの「運が良ければの経路よりも、確実なものを」という点に納得し、あとで駄目だと言われて行程をいじくるのも面倒だと感じたためである。
かくして、経路は確定したのである。
経路は確定したが、きっぷの手配などが困難である。特に、前夜祭的にと寝台特急トワイライトエクスプレスの乗車を決めたが、このきっぷの確保が今回の旅の中では、本編でないにも関わらず、最も困難であろう。果たして、私は自宅を出る7月8日の1ヶ月前である6月8日に申し込みに駅へと向かった。さて、その顛末や如何に。
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