■エピローグ
肥前山口駅に2度目に到達し、最長片道切符の旅は完結した。しかし、私の家はここにあるわけではなく、ゆえに帰宅せねばならない。最長片道切符自体の旅は完結したが、自宅から稚内まで行ったときがプロローグだったように、肥前山口から自宅まで帰るのはエピローグとして、この私小説を完結せねばならない。
| 乗車列車&関連画像 |
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| 4010M特急みどり10号博多行 |
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| 肥前山口駅 |
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| モニュメント |
そこで、みどりの窓口で博多までのみどり10号の特急券・グリーン券と乗車券を購入した。窓口での精算が終わると、駅員さんが、「下に良いものがあるから、見ておいでよ」と言う。その勧めに従って、階段を降りて駅前ロータリーへと出ると、NHKで放映された最長片道切符の旅のモニュメントが設置されていた。
私は、それに手を当てて、長かった旅の記憶を思い起こす。最長片道切符の旅に対して、あれほど終わって欲しくないと、未練たっぷりの気持ちだったが、今は旅を終えた充足感の方が大きかった。しかし、まだ気分は物語の途中である。
改札を通るとき、再度、駅員さんに礼を言ってホームへと下りる。ベンチに座っていると、何かが肩から下りて、気が楽になったように感じた。思えば、最長片道切符という紙切れに自身が束縛されていた2ヶ月であったように思う。今、それを終えて、そこからの束縛が解けたような身軽さを感じていた。まもなくしてみどり10号が到着した。
11時12分まで5分停車する。これは、みどり10号の後方に長崎からのかもめ14号を連結するためである。いつもであれば、その連結作業を眺めているのだが、きょうはどうしたことかまっすぐに客室へと向かった。グリーン室には私だけで、リクライニングを倒したりしていると、ガクンと小さな衝撃を感じた。かもめ14号との連結作業を終えたのである。
一路、博多へ向けて出発した。日程に余裕があれば、長崎から寝台特急あかつき号、あるいは熊本から寝台特急はやぶさ号などに乗って、ゆっくりと今回の旅の総括的なことをしたいと考えていた。しかし、どうにもきょうの夕方には外せない所用があり、急いで帰る方を選んだのである。そんなに急ぐなら、長崎から福岡から飛行機でという選択肢もないわけではなかったが、最後まで鉄道でこの旅を終えたかったという気持ちが働いたのである。
鳥栖に着く手前に運動場があり、そこではサッカー選手らが練習をしていた。サガン鳥栖の選手なのだろうか、日焼けして真っ黒だ。鳥栖からは鹿児島本線へと入る。昨日は、博多から桂川を回って来たから、随分と遠回りした感があったが、このみどり10号は遠回りすることなく、まっすぐに博多へ向かう。したがって、博多に着いたのも、肥前山口から48分後の12時丁度であった。
| 乗車列車&関連画像 |
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| 26Aのぞみ26号東京行 |
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| 新大阪に到着した |
博多駅に着くなり、土産物を買い込む。土産物など帰る直前で良いのであり、途中で土産を買っていかねばならないとしたら、今回の旅では沖縄を除く日本中の土産物を買わねばならないことになる。それでは私の財政状況が逼迫するので、ご勘弁願いたい。そして、昼食にと、ゆふいんの森弁当を購入し、新幹線ホームへと急ぐ。
12時28分発の東京行のぞみ26号に乗る。新型のN700系である。8号車のグリーン車に乗車した。7月に会津若松から一旦帰ってくるときに、名古屋から乗ったあのグリーン席の感触を新大阪までの間、味わおうという魂胆だ。
のぞみ26号は、あれだけの日数を費やして移動した区間を、いとも容易く直線的に突っ切っていく。これが現実なのだと言わんばかりに・・・。私は、家に帰るまでが旅だと思っていた。しかし、肥前山口から自宅までの道のりは、自身を小説の世界から現実の世界へと戻すための思索の時間なのだと思えてきた。私の体のリズムは、旅の世界に浸っていた私小説の主人公としてのものから、現実世界の社会のものへと戻さねばならない。それは辛くもあり、寂しくもあったが、その抵抗する感覚を、のぞみ26号の走りが消してくれたような気がする。新大阪に到着する頃には、あの長い長い旅はすっかり過去の産物と化していたのである。
新大阪のホームに降り立ったとき、大阪特有の熱気が私の顔を叩いた。私は完全にあの夢物語から目を覚ましていた。
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